やくざ映画・任侠映画の総点検

 大衆に愛され続け、しかも不当な扱いしかされなかったいわゆる“B級映画”に照準を合わせ、その生成と哀滅をたどりながら証す大衆文化論。  

            


最後の侍・市川雷蔵

 しかし、これらの作品は、日活のアクション・コメディにも匹敵しうる重要な一ジャンルである。同じ時代劇でも、これは大映独得ともいえるもので、こうした奇妙な作品系列は他社にはない。それは、股旅物のひとつの要素である社会の枠からはみ出した者が、定着と安定を交換に手に入れる一種の自由奔放さだけをグロテスクに拡大し、「流れ者」の孤独性と暗さを一切とりはらったらどうなるかを試みた実験映画であり、小国英雄という逸材を得て、半ば成功、結果において失敗したという不思議な作品群なのである。 

 これらの作品に登場する股旅やくざは「流れ者に女はいらねえ」などときざなことも言わないし、故郷を思ってセンチメンタルになることもなく、その土地その土地で愉快に楽しく旅をしている。植木等のサラリーマン物のように、ただひたすら要領よくスイスイ人生街道を渡っていくのである。

 特に『濡れ髪三度笠』はそういう点で徹底していた。武士の世界はきゅうくつだと思っていた若殿が、やくざになってみると、こちらも結構きびしい世界であるということを知ったり、若殿をねらう刺客達も、金高、石高のつり上げによって、敵側に、味方側にコロコロと変ってしまう適当さなど、これまでの時代劇とはかなり違っていて、喜劇映画としても第一級の作品である。

 さて、こうした作品の人気が下火になっていった三十八年、新人池広一夫はてれることなく古典的股旅物の決定版『沓掛時次郎』を作り、大映股旅映画を本来の姿へと戻した。池広一夫はその前に風刺喜劇の傑作時代劇『天下あやつり組』(南条範夫原作)を撮っており、すでにその才能は多くの人が知っていた。

 『沓掛時次郎』は、それまでの池広作品とはぐっと趣きをかえリアルで殺伐とした股旅映画となっていた。全編六回の殺陣シーンにはそれぞれ工夫をこらし、望遠レンズやシルエットを巧みに生かし、現実的な殺しの場面を作った。主人公を無敵のスーパーマンとはせず、常に逃げながら斬り、建て物や木など立地条件を生かして頭脳的に敵と闘うという理知的な殺人者にした。

 しかし、惜しいかな一番大切な「情感」を、原作にないおきぬの親を登場させることによって親子の情愛にすり変えてしまったため、薄っぺらなものになってしまった。この作品はあくまで時次郎とおきぬとのやるせない愛情に重点を置かなければならないのだ。その点をのぞけば、確かに、この作品にはポエジィがあり、流れ者の孤独な陰があった。ラストシーン、おきぬの子供太郎坊をおきぬの両親にあずけ、去っていく時次郎。その時次郎を見送ろうと柿の木に登り「おじちゃん」と叫ぶ太郎坊。ふりかえってはいけない、ふりかえってはいけないと足を早める時次郎の耳に「おじちゃん」「おじちゃん」の声が、ついに「お父っちゃん」となってとび込んでくる。バックに橋幸夫の唄が流れる。〽すねてなったか 性分なのか・・・それとも女のせいなのか 〽すまぬすまぬという眼がつらい ご存知『シェーン』の日本版。

 続く『鯉名の銀平』(田中徳三)も暗く沈んだ股旅映画の傑作である。雷蔵の孤独な股旅やくざぶりはますますみがきがかかり、女や土地に対する執着が悪人に対する怒りとなって爆発する。次の『中山七里』(池広一夫)でも、恋する女を殺された怨みと落胆が主人公を別人のように変え、冷たくとぎすまされたテロリストの陰影をただよわせる。ここでも池広は、ヒーローを無敵の男とはせず、延々と逃げながら一人ずつ殺していくという方法をとる。

 こうした殺人者の孤独性がストイックな武士道と直結することによって同じ年の三十八年、大映時代劇の頂点『斬る』(三隅研次)となって完成するのである。